第八話『物語る女』
“不思議を売る男~鉛の兵隊~”ジェラルディン・マコーリァン作より
ウェリントン・ジョージ・アームストロングをご存知だろうか?
とても賢く、とても気立てが良く、誰にでも好かれる、そんな男だった。
クリスマスを迎えると、私は決まって彼を思い出す。・・・
いや、日ごろも思い出さないわけではないのだか、クリスマスの晩は特別なのだ。
どうしても忘れられない思い出があるからである。
・・・私はチャールズ・アームストロング。イギリス陸軍で軍医を勤め、退役した今は、
この街で医者をしながら静かに余生を送っている。
・・・そう、ウェリントン・ジョージ・アームストロングは私の甥に当たる。
ウェリントン、いい名前だ・・・私が名付け親だ。ウェリントンも私をチャーリー叔父さんと呼んで、
とても慕ってくれた。
我がアームストロング家は代々軍人の家系で、私の祖父も、私の父も、そして私の兄、
つまりウェリントンの父親も女王陛下の将軍を務めた。
だから長男であるウェリントンもこの世に生を受けた時からその人生は決まってたようなもので
立派な軍人になるよう育てられ、当然、士官学校に進んだのだった。
・・・その日、つまり21年前の今日12月25日、ウェリントンが13歳のクリスマスにこんなことがあった。
・・・実はその年の夏頃から彼はしばしば私に手紙を寄越すようになった。
最初は士官学校での生活ぶりや、授業内容など他愛のないものだったが、
やがて「叔父さん、僕は軍人には不向きです。叔父さんのように医者になりたいのです。
どうかお父さんを説得してください」という驚くものになった。
兄の気質を良く知る私は思い止まるよう返事を書いたのだか、どうしてもそうしたいと、
素直な彼には珍しく、聞き入れない。
仕方なく私は、私も同席するからクリスマス休暇で家に帰った折に自分でお父さんを説得しなさい、
ただうまく行くとは思えないがと、最終提案をしたのだった・・・。
パン!パン!銃声のような音が続いた…
私の兄である将軍が両手でつぶした胡桃を燃え盛る暖炉に放り込んだのだ
ウェリントン・ジョージ・アームストロングは暖炉の前の敷物の上に立っている
・・・「気を付け!背筋を伸ばさんか!臆病者め!お前みたいな腰抜けを息子に持とうとは
夢にも思わなかった!!!」
暖炉の火に焼かれた胡桃の破片のはじける音に驚く息子を見て、兄…いや将軍は怒る。
…でも、彼は気づいていない…焼けた胡桃の破片が息子・ウェリントンの手に当ったことを…
だか、我が甥っ子は、こうして父親に向かって話をすることの方が火傷の痛みより辛いのだ…
「父さん、軍隊に入るのが嫌だと言っている訳ではありません…ただ、僕は医者になりたいのです…」
やっとのことで、自分の思いを口にする。
「黙れ!…おまえは軍人になるべく育てられ、軍人になるべく教育を受けてきた…
それを今更、軍人は嫌だ!医者になりたいだと!!!わしやわしの父、そしてさらにその父の顔に
泥を塗る気か!臆病風に吹かれおって!!!おまえはわしを傷つけた…どうだ、満足か?
わしの心に剣を突き立て、えぐってみせたわけだ」
ウェリントンは痛いほどわかっているのだ…父を本当に傷つけていることを…
ひとり息子が軍人になりたくないと告げているのだから…
あまりの将軍の激しさ、深い悲しみに決心が揺らいでいる・・・
さて、どうしたものか……
更に将軍が低い声で脅すように言う
「一度だけチャンスをやろう!これが最後だぞ!!馬鹿な考えを捨てて、軍隊に忠誠を誓え!
8歳の誕生日に、亡くなった母さんの前に誓ったようにな!!!」
ああ…ウェリントンの勇気もすっかり萎えてしまっている…あの優しい母親のことを持ち出されては…
ウェリントンが泣きそうな顔で縋り付くように私を見る。
「戦場で決着をつけたらどうだ?親子ふたりで、そう、一対一で」
父と子は私を見つめた…「戦争ゲームだ!戦略ゲームだ!」
そして驚く二人を尻目に、家具をどかし…ウェリントンを押しのけ、
彼の足下にあった敷物を丸め絨毯の真ん中に投げ出し「ここが高地だ!」
…そして自分の上着を脱ぎ、それも絨毯の上に放り投げ「ここが断崖!」と宣言した。
そして「ウェリントン、鉛の兵隊を持っているだろう!持ってこい!!!」と叫んだ。
…わずか十三歳の少年が戦争ゲームで、名声高い軍人である父親に果たして勝てるのか?
そんな危惧が私の脳裏をよぎったが、その時はそれしか考えられなかった。
ウェリントンは鉛の兵隊の入った箱を持ってきた…2歳の誕生日に…父親から
「おまえもいつか立派な軍人になるように…」渡されたはじめてのプレゼント・・・
「私が審判をつとめよう」…可愛い甥っ子の将来のかかった大袈裟なお遊びが始まった。
高地に見立てた敷物をはさんで腹ばいになった父親と息子は敵味方として睨み合う。
「自主独立のための戦いか?ん、ウェリントン…」将軍が精一杯皮肉る。
ウェリントンは仕官学校で習った作戦の基本を必死で思い出そうとしているようだ。
私は…後はサイコロの目がいいことを祈るしかないと覚悟する…
サイコロの目で移動距離が決まるのだ
だが、思った通りである3、5、6…将軍の軍隊はトルコ絨毯の上を前進して敷物の麓まで
やってきている…山の陰でウェリントンの砲撃をかわし、まもなく高地を占領…
5か6がでればウェリントンの兵士を取り去ることが出来るだろう・・・
ウェリントンの軍隊は慌てて僕の上着の影に避難…士気をくじかれた兵士達…
戦場の向こう側には暖炉の火に照らされた父の顔が見える…
「赤痢発生!!!」いきなり私は叫んだ!…二人は驚き、すぐさま将軍が噛み付いた
「どういう意味だ…そんなルール聞いた事がないぞ!」
「このゲームにルールはない…」僕は笑いながら、戦場である絨毯のまわり歩き
「えこひいきなし!両軍とも赤痢が発生した…赤痢は、銃弾よりも確実に人を殺していくぞ…
さぁ、どうする?」と、両軍に戦術を述べるように促した。
将軍は憤然と身体を起し、咳払いをし…「まったくどういうことだ…もちろん、便所を掘る…
うんとたくさん掘る事にしょう」と答えた。
「なるほど…それだと死亡率は20%といつたところだな…」と私は将軍の兵士の五分の一を倒した…
「さて、おまえはどうする?」・・・ウェリントンも困っていた…顔をしかめ考えたぬいた挙句、こう言った…
「野戦病院を建てます。同量の塩と砂糖を水に溶かして沸かし、それを毎日飲ませます。
それから赤痢に感染している者とそうでない者と便所を別にします」
「砂糖に塩だと?何のつもりだ?ままごと遊びか?」敷物の山頂ごしに将軍があざ笑った!
「うん・・・適切な処置だ…死亡率は5%といったところだな」私はウェリントンの軍隊から
二人の兵士を取り除き取り除き「再開!」と叫んだ。
赤痢の処置で息子に負けたため、将軍は不機嫌になっていた。そしてムキになって高地を占領した…
将軍がサイコロを振る…6…ウェリントンの六人の兵士が絨毯の平原で永遠の眠りについた…
想像力に恵まれたウェリントンには、兵士たちのうめき声が聞こえ、焼け焦げている姿が
見えているに違いない…
「反乱!反乱勃発!!」と、いきなり私は叫んだ!
「反乱だと?反乱なんて、ルールにはない」顔を真っ赤にして将軍がいきり立つ。
「女王陛下の忠実なる軍に反乱なんて絶対にない!」なおも異議を申し立てようとする将軍を手で制し、
私はゆっくりと言った。
「これはただのゲームじゃない、兄さん、ひとりの人間の一生がかかっているんだからね」
・・・将軍は忌々しそうに私を睨み、そして、息子を睨んだ。
「反乱だ!将軍、そちらの軍の四分の一の兵が反乱を起した。
が、他の忠実な兵士に捕らえられ、鎖につながれている。さぁ、この事態をどう処理する?」
将軍は「犬にも劣る連中は、全員銃殺だ!!!」と怒鳴り、触るのも汚らわしいとばかり
自分の兵士を摘み上げ、肘掛椅子の上にに放り投げた!
そして「反乱というのは、こういう風に処理するものだ!」と肩をそびやかした。
「成る程、それでこそ女王陛下の将軍だ!ウェリントン、お前はどうする?」私は厳しい顔で詰問した。
「戦いの最中ですね?国に帰ったらすぐ不満について調査することを約束して、
それまでは僕を信頼してともに戦った欲しいと…と頼みます」
「ハッ!」将軍は呆れたとばかりに激しく床を叩いた。
…僕はそれを無視して戦いの再開を促した。
「待て!…反乱はどうなった?こっちのほうはほおっておくのか?」すかさず将軍が抗議した。
僕は口早に「といっても、この子はひとりも殺さなかったのだから仕方がない…さぁ!続行!!!」と叫んだ。
明らかに納得がいかないという顔をしている将軍だか、それでも、審判の裁定には従わざろう得ない。
兵士の数ではウェリントンの方が多かったが、地の利点では将軍の方が有利だった…
戦いは消耗戦になり…だらだらと続いている…兵士たちはひとり、またひとりと死んでいった
…やがてどちらの兵も一掴み程になった。
敷物高地と上着断崖を挟んで親子が睨み合っている…
ウェリントンの中に流れている父親の血が騒ぎはじめたようだ。
もう2・3回サイコロで良い目が出れば相手の軍隊は全滅だ・・・勝てるかもしれない!
勝ちたいという欲望…殺してやりたいという欲望…横暴な敵を辱めてやりたいという欲望が…
火山の割れ目から吹き出す溶岩のように沸き上がってきた。
自分が激しく歯ぎしりしているのにも気づかないようだ…
「人質をとられた!!!」私が再び叫んだ!
「くそったれ!またまたお前の気まぐれか!!」将軍が私を罵った!
ウェリントンは初めて聞く父親の汚い言葉に驚いている…。
「戦争は気まぐれなもの…兄さんだってそんなことは百も承知のはずじゃないか…」
…私は煙草に火をつけ、すまして答える。
暖炉の火がパチパチと燃え…炎がゆれる…まるで冷酷な戦いの神の様に…
親子を照らしている…僕は続けた
「将軍、息子が一人質にとられた!丘を放棄し降伏せよ!
さもなくば、夜明けとともに息子の喉をかききる…」
将軍が敷物高地の向こうの青いつぶらな瞳を見つめる・・・
将軍が激しく動揺しているのが私には分かる・・・
さて、どうする?将軍が大きく咳払いをする・・・懸命に動揺を隠そうとしているのだ・・・
多分、兄はこう考えているはず。…ここで気弱なところを見せてはいかん…
今大切なのは雄雄しさをみせることだ…あの子に本当の強さとはどういうものなのか、
見せてやらねば、そして、医者などより軍人の方がどれほど立派か証明してあげるのだと・・・
「我々軍人は女王陛下と国家に本分をつくすことを旨とすべし!個人的な感情など問題外だ!!!」
将軍は大きな声でキッパリと宣言した。
「息子は喉をかききられた。将軍は高地をそのまま維持…」私は厳しく締めくくった。
さぁ、次はウェリントンの番だ・・・私は・・・多分、彼にはそう響いたはずであるが・・・
冷たく彼に突きつけた「父親が人質にとられた!お前はどうする?」
ウェリントンが絨毯から顔をあげた…涙が頬をつたい、戦場の脇に積み上げられている、
はずされた…つまり死んだ、鉛の兵隊たちの上にぽたぽた…落ちた…
そして…戸惑いと痛みと非難の入り混じったまなざしを父親に向けた…
私も、そして将軍もそれとそっくりな表情を見たことがあった・・・
ハエの飛び回る異国の空の下、野戦病院のハンモックに横たわって死にかけている若者の目である…
それでも私は「ウェリントン、正直に答えろ!!!」と叫んだ。
十三歳の将校は自分の陣地・上着断崖から一握りの兵隊を掴み…
狙いも定めず父親に投げつけた…そして…ゆがんで震える唇から、かすれた声が洩れたのだった…
「降伏します…」
沈黙が部屋を支配した…聞こえるのは…ウェリントンの嗚咽の声と…
暖炉で胡桃の殻がはじける音だけ…
「なぁ、兄さん…これでわかっただろう…この子は軍人になっても恥をさらすのがおちだ。
何しろ反乱兵には屈してしまうし、個人的な感情に流されて降伏してしまうし。
何というか、そう、殺すという本能が欠けているんだ。医者にでもした方が良かないか」
将軍は答えなかった…トルコ絨毯をはさんで、親子は黙って互いの目をじっと見つめ合っていた・・
我が甥、ウェリントン・ジョージ・アームストロングは士官学校をやめ、その後、医学を学んだ
…第一次世界大戦がはじまると志願して軍医になり、フランスに渡った…
そして、ベルギーのパーサンダーラの戦いで崩れてきた塹壕の中で死んだ…
ウェリントンの父親はそれから程なくベットで息をひきとった…
息子の死を嘆くあまりに…という人もいる…
『脱走兵』訳詞・矢田部道一
大統領閣下 申し上げます ここに貴方の手紙があります
これによると 月曜日までに 入隊せよと 命じています
だけど 私はおそらく人を殺すことなど出来ないでしょう
貴方に背くつもりではなく 明日 私は逃げだすでしょう
大統領閣下 私の親父は ある日 遺骨で帰ってきました
そして母は 嘆き悲しみ 今では一緒に 眠っています
私の兄は 長い捕虜で 愛する妻を 盗まれました
この手紙が 届く頃には 多分 私は 逃げている
大統領閣下 おそらく貴方は 軍や警察に 命じるでしょう
脱走兵を 探し出すようにと それが貴方の 職務だから
武器を持たない 男はすべて 祖国の為に ならないからと
他人の血を 見るくらいなら 私は自分の 血を流すでしょう
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